2026年6月7日 主日礼拝『ハデスの門に打ち勝つ教会』

2026-06-08

t f B! P L

聖書箇所:マタイ16章13-17節、 出エジプト記6章6-8節

18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。(マタイの福音書 16:18


イエス様は今も生きておられる

私たちは神を礼拝する中で、毎週のように聖霊によって今も働かれるイエス様の臨在を体験しています。実際に神の愛が注がれ、不思議な方法で癒しや奇跡が起こる時に、主に感謝せずにはいられません。しかし、奇跡とは道・真理・いのちであるイエス様ご自身を指し示す道路標識のようです。教会にとって最も大切なのは、「私たちはイエス様をどのようなお方として告白しているのか」という問いです。

1. 教会は「イエスはキリストです」という告白の上に建てられる  

13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。(マタイの福音書 16:13-17)

  • A. イエス様は、一般論ではなく、私たち自身の告白を問われる 
    人々はイエス様を、バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人のように見ていた。しかしイエス様は、「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか?」と弟子たち自身に問われました。教会の土台は、世間がイエス様をどう見ているかではなく、私たち自身がこの方を誰と告白するかにあります。
  • B. ペテロの告白は、父なる神の啓示によって与えられました
    ペテロは、「あなたは生ける神の子キリストです」と告白した。イエス様は、ただの教師、預言者、癒し主ではなく、油注がれた王、救い主です。この告白は人間の理解や努力から出てくるものではなく、父なる神が聖霊によって心の目を開いてくださることによって与えられる。

  • C. 教会のすべての働きは、この告白から広がっていく 
    この告白を神に向けると礼拝となり、外の世界に語ると宣教となり、信じた人々に教えると弟子訓練となり、聖徒が食卓を囲むと交わりとなり、賜物や時間や献金を通して表すと奉仕となる。毎日の仕事も社会に仕え、光を輝かせる奉仕です。教会生活の全ては、「イエス様、あなたは生ける神の子キリストです」という告白から始まる。

主イエスは私たちの信仰の告白を必要としています!!

2. 教会は小さく見えても、ハデスの門に向かって前進する  

18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。(マタイの福音書 16:18)

  • A. イエス様は、小さく未完成な者たちの上に「わたしの教会」を建てられます
    イエス様は、「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」と言われました。教会の本質は、規模や建物や社会的な影響力ではなく、イエス様のものとされていることにあります。からし種のように小さく見えても、まだ整えられていないペテロのようであっても、主はその中に将来と可能性を見ておられます。
  • B. ハデスの門とは、神の民を閉じ込め、礼拝と使命を妨げる支配である 
    聖書の時代において、門は単なる入口ではなく、町の権威、守り、裁き、決定が行われる場所でした。ハデスの門とは、死、恐れ、罪、束縛、悪霊的な支配、そして神の民を礼拝、宣教、交わり、奉仕など、わたしたちに託された使命から遠ざける力を表している。出エジプト記でファラオがイスラエルを礼拝に行かせまいとしたように、敵は今も神の民を閉じ込めようとする。
  • C. 門は動かない。だから教会がキリストの権威をもって前進する 
    ハデスの門が教会に向かって前進するのではなく、教会がその門に向かって前進していきます。神の民が立ち上がると、ファラオの抵抗のように戦いが強くなることもあるでしょう。しかし教会は、恐れ、病、家庭の破れ、地域の霊的な闇に対して、祈り、福音を語り、賜物を用い、実際の一歩を踏み出していきます。

33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネの福音書 16:33

主のための小さな従順、小さなチャレンジを後回しにしないようにしましょう。それらが教会を強くし、教会が前進する一歩になるのですから。

3. 神は「わたしがする」と宣言し、救いを完成される  

6 それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地にあなたがたを連れて行き、そこをあなたがたの所有地として与える。わたしは主である。』」(出エジプト記 6:6-8

  • A. 神の召しに従っても、最初から順調に進むとは限りません 
    モーセは神に召され、ファラオのもとへ遣わされたが、すぐに解放が起こったわけではありませんでした。むしろ苦役は重くなり、民は不満や怒りをモーセにぶつけました。使命に従う歩みの中で、私たちにも混乱や抵抗や失望が起こることがある。しかし神はそのただ中で、「今にわかる」と語られる。
  • B. 神は七つの「わたしがする」という宣言によって、私たちに福音、良い知らせを約束しています
    神はイスラエルの民に、「わたしは主である」と語られた。そして、民の現状やモーセの弱さではなく、ご自分の御心と力に基づいて、救いの計画を宣言された。ここで大切なのは、救いの主語が人間ではなく神ご自身であるということです。

以下が7つの宣言です

  1. わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す 
    神は、イスラエルの民を奴隷状態の中に置いたままにはされません。苦役の場所、圧迫の場所、支配されていた場所から、ご自分の民を外へ導き出される。これは、キリストにあって私たちが暗闇の支配から神の御国へ移されたことを意味しています。
  2. わたしはあなたがたを重い労働から救い出す 
    神は、ただ支配の場所から出すだけでなく、民を押しつぶしていた重荷そのものから救い出される。イエス様は、罪責感、恐れ、混乱、罪の習慣、奴隷的な生き方から私たちを解放してくだいます。
  3. わたしは伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う 
    贖うとは、代価を払って買い戻すことである。出エジプトにおいては神の大いなる御腕とさばきによって救いが現され、過越においては子羊の血が流された。これは、十字架で流されたキリストの血潮によって、私たちが買い戻されたことを指し示している。
  4. わたしはあなたがたを取って、わたしの民とする 
    神は、救い出した民をただ自由にして終わりにされるのではない。ご自分のものとして受け入れ、契約の民としてくださる。私たちもキリストにあって、神の国の民、キリストのからだの一部、生ける石とされました。
  5. わたしはあなたがたの神となる
    神は、遠くから助けるだけの神ではなく、イスラエルの民の神となり、共に歩み、語りかけ、導いてくださるお方です。神の民は、御言葉を聞き、御声に従い、主との関係の中で生きるように招かれている。
  6. わたしは約束の地へあなたがたを連れて行く 
    神は、民をエジプトから出すだけではなく、目的地へ導かれる。救いには方向があり、使命があり、素晴らしい将来があります。私たちにも、神が備えてくださった仕える場所、実を結ぶ場所、召された場所があります。
  7. わたしはそこをあなたがたの所有地として与える 
    神は、約束の地をただ見せるだけではなく、相続として与えると約束されました。私たちの歩みも、この地上での使命にとどまらず、最終的には御国の相続、新しい天と新しい地へと向かっています。「絶えずマラナタ、主よ来てください!」と賛美しながら働いてきましょう!

  • C. 教会の勝利は、人間の力ではなく、主の「わたしがする」による 
    教会がハデスの門に向かって前進できるのは、人数が多いからでも、資金があるからでも、牧師や信徒が強く余裕があるからではありません。主ご自身が、「わたしが導き出す」「わたしが救い出す」「わたしが贖う」「わたしが民とする」と宣言しておられるからです。教会は、自分の力で勝利を作り出すのではなく、主の救いの御業に信頼して前進します。

これらの7つの宣言を私たちの人生に対して、家庭に対して、ライフストリームチャーチに対して、職場に対しても宣言してください。あらゆる領域で救い(解放)がなされることを見ていきましょう。

成熟し、遣わされる教会になっていきましょう!

教会は幼いままで終わるために召されたのではなく、キリストのからだとして成熟し、置かれた地域へ遣わされるために召されています。牧師やリーダーの働きも大切ですが、牧師は主役ではなく、教会を整えるための一つの職務です。教会の聖徒である皆さん一人ひとりが神に召された偉大な器であり、愛された勇士たちです。

私たちは今週、「イエス様、あなたは生ける神の御子キリストです」と告白しましょう!この告白の上に教会は建てられ、この告白をもって教会はハデスの門に向かって前進し、この告白に応えて、主ご自身が「わたしがする」と語り、救いを完成してくださいます!! 

このブログを検索

ブログ アーカイブ

QooQ